①30年近く前、1970年代後半の話である。何故か私の母には台湾の友人が多く、その中の一人に食事に誘って頂いた。紹興酒などを日本に輸出している年配の方で日本との商売には十分満足していると思われた。
その人が対中国本土の話から「台湾の仮想敵国は日本だ」と言い出した。その人にとっては自然な話の流れのようだったが、私にとっては「戦争が始まる」宣言にも聞こえ、食事時の話題としては適切ではなかった。
今もそうだが、当時既に日本は平和が当たり前の国であり、戦争は概念の世界の問題で、現実味のある話題ではなかった。現実味が無いという事は、些細な問題に過大・過敏に反応するか、不適切に鈍感な対応を招く。・・・その時の私は「仮想敵国」という言葉の響きに不穏なものを感じ、自分の想像の世界の戦争に怯えたのだろう。
・・・70年代、当時の軍事力で言えば、中共より自衛隊の方が明らかに強かった。だから台湾の仮想敵国は日本になる。今考えれば、別に難しい話ではなかったのだ。
②今、アメリカ軍部の分析では、もし北が攻撃するなら韓国ではなく日本が標的になるだろうという。背景の一つとして、北の青年将校の対日本の軍事分析が不適切に強気であるらしい。
年間予算で軍事力が決まるなら、北の判断は無謀である。しかし北の攻撃に対する反応の速さから推測するなら、恐らく日本は他のどの国よりも鈍感であろうし、先制攻撃の成果を持って即時停戦交渉に入る積もりなら、その判断は間違いとも言えない(真珠湾攻撃の判断と同じなのである)。これが韓国相手なら北も相当の覚悟をしなければならない。・・・戦争は喧嘩と同じで、度胸で決まる部分も大きい。
③7月2日と4日、北がまた日本海にミサイルを撃ち込んだ。慣れてしまったのか、報道の時間は短くなっている。・・・北の青年将校の話が、太平洋戦争における日本の軍部の判断に似ているならば、北が無謀な作戦で暴発しないなどと誰が言えるのだろう。北朝鮮は大日本帝国のパロディとしての側面を持っている。距離的に遠い国の話なら「一度目は悲劇、二度目は喜劇」などと笑っていられるが、日本と北の位置関係は、やくざ映画の仇討ちと同じで、懐に忍ばせた短刀でも十分、日本に届く距離である。また、その理屈が世界に通用するかどうかは別にして、北には太平洋戦争の遺恨という、日本に対して大声を上げる大義名分もある。世界にはそれを理解できるという国も居る。アメリカだって北が大声でそれを唱えれば、無視は出来ない。日本だけが「世界がそれを否定する」と信じているのかもしれないのである。・・・日本の一般市民が被害者になり、政府が怠慢な対応しか出来ない状況が目に浮かび、とても喜劇とは言えない想像となる。
④仮想敵国の発想は、あらゆる危機の可能性を分析し、対策しておくということである。日本が戦略無き国家と呼ばれるのは、国が危機感を持ってこれに手立てを施すという、当たり前の発想を失っているからである。
手段としての戦争を否定しても、国家戦略から仮想敵国への対応を削除して良い筈は無い。万全の対策をした上で「戦争回避」の主張も活きる。日本人は、「水」と同様、「平和」も当たり前と思ってしまいがちだが、大抵の国にとって、それは常識では無い事を見つめ直すべき時期が来ているようだ。


by baystars
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